葬儀に際して遺族がお渡しするものとして、会葬御礼と香典返しがあります。これらはどちらも弔問に対する感謝を示すものですが、その性質は異なります。会葬御礼は、葬儀や告別式に足を運んでくださったこと、つまり「会葬」そのものへのお礼です。一方、香典返しは、いただいた「香典」に対するお返しの意味合いが強いものです。香典をいただいた方に対しては、この会葬御礼と香典返しの両方をお渡しするのが、日本の葬儀における一般的な慣習となっています。つまり、参列者の方で、香典を持参された方には、まず当日の受付や式の後に会葬御礼の品物をお渡しし、後日(通常は忌明けである四十九日法要後)改めて香典返しをお届けするという流れが通例です。これは、会葬という行為と香典という金銭的な支援、それぞれの行為に対して感謝の気持ちを伝えるためのものです。会葬御礼は香典の金額に関わらず、一律の品物をお渡しすることがほとんどですが、香典返しはいただいた香典の金額に応じて品物の内容や金額が変わるのが一般的です。会葬御礼の金額は千円程度が相場であり、お茶やタオルといった消耗品が選ばれます。これには「不幸が後に残らないように」という意味合いも込められています。のし紙の表書きは「会葬御礼」や「御礼」とし、水引は黒白または黄白の結び切りを使用します。一方、香典返しは「半返し」または「三分返し」といって、いただいた金額の半分から三分の一程度の品物をお返しします。こちらも食品や日用品、カタログギフトなど、幅広い選択肢があります。のし紙の表書きは「志」とするのが一般的で、地域の慣習によって異なる場合もあります。このように、会葬御礼と香典返しは、渡すタイミング、金額の目安、品物の性質、そしてのしの表書きなど、いくつかの点で違いがあります。しかし、どちらも故人を偲び、遺族を気遣ってくださった方々への感謝の気持ちを伝えるためのものです。特に香典をいただいた方に対しては、両方をお渡しすることで、より丁寧に感謝の気持ちを示すことができます。現代では香典辞退という選択をするご遺族も増えていますが、その場合も、弔問への感謝として会葬御礼は行うというケースも見られます。形式よりも、心からの感謝をどのように伝えるか、その気持ちが何よりも大切なのです。
新しい選択肢「生前形見分け」という考え方
「形見分け」と聞くと、故人の死後、遺品を整理する中で行われるのが一般的です。しかし近年、「終活」の一環として、本人が元気なうちに自らの手で大切な品を親しい人に譲る「生前形見分け」という考え方が、少しずつ広まっています。これは、死後のいつ行うかというタイミングの問題を根本から変える、新しい選択肢と言えるでしょう。生前形見分けの最大のメリットは、何と言っても「本人の意思」を直接反映できることです。自分が大切にしてきたものを、誰に、どのような想いで託したいのかを、自らの言葉で伝えることができます。例えば、「この万年筆は、作家を目指す君に。夢を叶えるお守りにしてほしい」「この着物は、あなたに着てもらうのが一番似合うと思うから」といったように、品物に込められたストーリーごと譲り渡すことができるのです。これは、受け取る側にとっても、単に物をもらう以上の、深い感動と喜びをもたらします。また、遺される家族の負担を大幅に軽減できるという利点もあります。死後、膨大な遺品を前に、どれを残し、どれを処分し、どれを誰に分けるのかを判断するのは、遺族にとって精神的にも物理的にも大変な作業です。特に価値のある品が含まれている場合、相続トラブルの原因になることも少なくありません。生前のうちに本人が整理し、譲る先を決めておくことで、こうした死後の混乱や争いを未然に防ぐことができます。「生きているうちから死後の準備をするなんて、縁起が悪い」と感じる方もいるかもしれません。しかし、見方を変えれば、生前形見分けは、自分の人生を振り返り、大切な人々への感謝を伝えるための、非常にポジティブな「終活」の形です。自分の人生のエンディングを自らデザインし、笑顔で「ありがとう」を伝える機会。それは、残される家族にとっても、かけがえのない宝物となるはずです。
最近の葬式場はこんなに進化している!
先日、知人の葬儀に参列する機会があり、最近の葬式場の進化に驚かされました。私が抱いていた「暗くて少し古めかしい」というイメージは、良い意味で完全に裏切られたのです。まず驚いたのが、式場全体のデザイン性です。まるでモダンなホテルのロビーのようなエントランスを抜けると、自然光が差し込む明るく開放的な式場が広がっていました。祭壇も、白木や白菊といった伝統的なものではなく、故人が好きだったという青い花を基調にしたモダンなフラワーアレンジメントで彩られ、非常に洗練された印象を受けました。宗教色を排した無宗教形式のお別れ会だったこともあり、BGMには故人が愛したクラシック音楽が静かに流れていました。悲しみに沈むというよりは、故人の人生を称え、穏やかに感謝を伝えるための空間がそこにはありました。また、ご遺族や親族が過ごす控室の快適性にも目を見張るものがあります。私が利用させていただいた控室には、シャワールームやミニキッチンはもちろん、マッサージチェアまで完備されていました。これなら、遠方から駆けつけたご親族も、心身の疲れを癒しながら故人様との最後の夜を過ごすことができるでしょう。さらに、IT技術の活用も進んでいます。会場には大型スクリーンが設置され、故人の思い出の写真をスライドショーで上映する「メモリアルムービー」の演出がありました。また、体調不良や遠方で参列できない方のために、葬儀の様子をオンラインで配信するサービスも提供されていると聞き、時代の変化を感じずにはいられませんでした。葬儀の形が多様化する現代において、葬式場もまた、遺された人々の様々な想いに応えるべく、日々進化を遂げているのです。お別れの形に「こうでなければならない」という決まりはありません。故人らしさ、そして遺族らしさを表現できる場所として、葬式場の新しい可能性に期待したいと思います。
御供の正しい読み方は「ごくう」ですか?「おそなえ」ですか?
葬儀や法事の場面で目にする「御供」という言葉をご存じでしょうか。この二文字を前にして、「ごくう」と読むべきか、それとも「おそなえ」と読むべきか、迷われた経験をお持ちの方は少なくないでしょう。結論から申し上げますと、どちらの読み方も間違いではありません。しかし、使われる場面や文脈によって、より適切な読み方が存在しています。一般的に、お供えする品物そのものを指す場合や、口頭で「お供え物」と同じような意味で使う場合は「おそなえ」と読むのが自然です。例えば、「お仏壇におそなえをしましょう」といった会話で使われています。一方、「ごくう」という読み方は、より丁寧で仏教的なニュアンスが強くなるのです。これは、仏様や故人への食事としてお供えするという「供養」の意味合いが込められた言葉です。特に、香典袋やのし紙の表書きとして「御供」と書かれている場合は、「ごくう」と読むのが正式とされています。また、「御供物(ごくもつ)」という言葉も「ごくう」から派生したものなのです。このように、同じ漢字でも二つの読み方があり、それぞれに少しずつ意味合いが異なると言えるでしょう。もしどちらの読み方をすれば良いか迷った際には、一般的な会話では「おそなえ」、改まった儀式の表書きなどでは「ごくう」と覚えておくと良いでしょう。言葉の背景にある意味を理解することで、故人やご遺族に対する敬意を、より深く表現することができるのです。