私が、初めて、大人の女性として、葬儀に参列したのは、二十歳の時、祖母が亡くなった時でした。それまで、制服でしか葬儀に出たことのなかった私は、母に連れられて、デパートのフォーマルウェア売り場へと、向かいました。黒いワンピースとジャケットを選び終えた後、母が、小さなジュエリーケースを、店員さんから受け取りました。中には、一粒の、美しい光沢を放つ、パールのイヤリングとネックレスのセットが、静かに収められていました。「あなたも、もう大人だから。こういうものは、ちゃんとしたものを、一つ持っておきなさい」。そう言って、母は、それを私にプレゼントしてくれたのです。それは、私にとって、初めての「本物の宝石」でした。葬儀当日、私は、少しだけ緊張しながら、そのパールのイヤリングを、耳につけました。ひんやりとしたパールの感触が、これから始まる、おばあちゃんとの最後のお別れの儀式の、厳粛さを、私に教えてくれているようでした。式の最中、私は、時折、自分の耳にそっと触れました。そこにある、小さなパールの存在が、深い悲しみの中で、うろたえそうになる私の心を、不思議と、落ち着かせてくれました。それは、まるで、隣に座る母の、静かで、そして温かい励ましのようでした。葬儀が終わり、数年が経ちました。あのイヤリングは、今も、私の宝石箱の中で、静かに輝いています。普段、身につけることはありません。しかし、親しい誰かの訃報に接し、喪服に袖を通す度、私は、必ず、あのイヤリングを、耳にします。それをつける瞬間、私は、いつも、あの日の母の言葉と、祖母の優しい笑顔を、思い出すのです。パールは、涙の象徴だと言います。しかし、私にとって、この一粒のパールは、悲しみの涙だけではありません。それは、母から娘へと受け継がれた、愛情の記憶。そして、亡き祖母から、今を生きる私へと繋がる、命の絆の証なのです。この小さなイヤリングは、これからも、私の人生の、大切な節目に、静かに寄り添い、私に、強さと、そして優しさを、与え続けてくれることでしょう。
私と母、そして一粒パールの物語