葬儀における「髭」の扱い、すなわち剃るべきか残すべきかという問題は、実はその国や信仰する宗教の文化によってその捉え方が180度異なってくる非常に興味深いテーマです。日本の仏式の葬儀では「清潔感」と「慎み」を重んじる観点から髭を剃ることが一般的にマナーとして推奨されています。しかし世界に目を向けると髭は全く逆の意味を持つことがあるのです。例えばイスラム教の世界では髭は男性の敬虔さや威厳の象徴とされています。預言者ムハンムドが髭を蓄えていたことから、髭を生やすことは信仰心の篤い立派なムスリム(イスラム教徒)であることの証と見なされているのです。そのためイスラム教の葬儀において男性がきちんと手入れされた髭のまま参列することは何ら問題はなく、むしろ自然な姿と受け止められます。またユダヤ教の特に戒律に厳格な宗派では、聖書の一節を根拠にカミソリで髭を剃ることを禁じている場合があります。そのため葬儀の場でも豊かな髭を蓄えた男性の姿が多く見られます。キリスト教においては宗派や文化圏によって大きく異なります。カトリックの聖職者が髭を剃り清潔な姿を保つことが多いのに対し、東方正教会などでは長く豊かな髭が司祭の権威と精神性の高さを象徴するものとして尊重されています。さらにインドのシク教徒の男性にとっては、髪や髭を切らずに自然に伸ばし続けることが神への帰依を示す極めて重要な宗教的義務の一つです。彼らにとって髭を剃ることは信仰を捨てることに等しい行為なのです。このように髭というたった一つの身体的特徴が、ある文化では「不潔」「不謹慎」の象徴となり、またある文化では「敬虔」「威厳」の象徴となる。この多様性を知ることは私たちが自らの文化の中で無意識に「常識」として受け入れているマナーが、決して絶対的なものではないという大切な視点を与えてくれるのです。