父の葬儀が終わり、四十九日の法要が近づいてきた頃、私は香典返しに添える挨拶状の準備に取り掛かっていました。葬儀社の方が用意してくれた美しい定型文の文例がいくつかありました。どれも非の打ちどころのない完璧な文章でした。しかし私の心はなぜか晴れませんでした。この誰が書いても同じになる美しい言葉の羅列が、本当に私の、そして父の気持ちを伝えてくれるのだろうか。そんな拭いがたい違和感があったのです。父は不器用で口数の少ない人でした。しかしその行動の一つひとつに深い愛情が込められていることを私は知っていました。その父の飾らない温かい人柄を、父を愛してくれた多くの人々に私の言葉でもう一度伝えたい。私は意を決して定型文を使うのをやめ、自分自身で挨拶状を書くことにしました。句読点を使わないという伝統的なマナーだけは守りながら、私は拙い言葉を一つ一つ便箋に綴っていきました。「亡父 〇〇 は 生前 口数の少ない人間ではございましたが 家族の記念日には 必ず花束を買ってきてくれるような 優しい人でした」「そんな父が残してくれた 温かい思い出を胸に 私ども家族も 力を合わせて生きていく所存でございます」。そして最後に私はこんな一文を加えました。「ささやかではございますが 供養のしるしまでに 父が生前愛しておりました 地元の銘茶をお届けいたしました お召し上がりの際に ほんのひとときでも 父の不器用な笑顔を 思い出していただければ 幸いに存じます」。それは決して美しい文章ではなかったかもしれません。しかしそこには私のありのままの父への感謝の気持ちが確かに込められていました。後日その挨拶状を受け取った父の旧友から電話がありました。「君のお父さんらしい、本当に温かいご挨拶状だったよ。あのお茶を飲みながら、久しぶりにあいつとの思い出話に花が咲いたよ」。その言葉に私は救われた気がしました。挨拶状を書くという行為は私にとって単なる儀礼的な作業ではありませんでした。それは父の人生をもう一度深く見つめ直し、その感謝を私の言葉で社会へと繋いでいくための、父への、そして父が愛した人々への私の最後の手紙だったのです。