初七日から始まる七日ごとの忌日法要。その中でも、なぜ「五七日(三十五日)」は、四十九日の「忌明け」と並んで、特に重要な節目として、古くから重んじられてきたのでしょうか。その理由は、この日が、故人の魂の旅路における、最大のクライマックスであり、仏教的な世界観と、日本人の心情が、深く交差する、特別な日であるからです。仏教的な観点からの重要性は、前述の通り、この日が「閻魔大王の審判の日」であるという点に尽きます。閻魔大王は、単に罪を裁くだけの、恐ろしい存在ではありません。その眼差しは、時に厳しく、時に慈悲深く、故人が真に救われる道を探ってくれる存在とも言われています。その閻魔大王の審判を、無事に乗り越えることができるかどうか。それが、故人がより良い世界へと生まれ変わるための、最大の関門なのです。残された家族が、この日に合わせて法要を行い、追善供養を捧げることは、故人の魂を、この最大のピンチから救い出すための、最も効果的な支援であると、強く信じられてきたのです。そして、この五七日には、もう一つ、日本独自の文化的な意味合いが、重ねられてきました。それは、多くの地域で、この三十五日をもって「忌明け(きあけ)」とする、という慣習です。本来、忌明けは四十九日ですが、昔は、親族が遠方に住んでいる場合など、短期間に何度も集まることが困難でした。そのため、特に重要な審判が行われる三十五日の法要を、忌明けの区切りとし、この日に、香典返しを送ったり、親族を招いて大きな法要と会食を営んだりする地域が、数多く存在したのです。これを「切り上げ忌明け」と呼ぶこともあります。この慣習は、宗教的な重要性と、現実的な生活の知恵が、見事に融合した、日本的な合理性の表れと言えるでしょう。故人の魂の運命が決まる、天上のクライマックス。そして、残された家族が、喪の期間を終え、日常へと戻るための、地上の区切り。この二つの重要な意味が交差する点に、五七日法要が、特別な重みを持って、私たちに受け継がれてきた理由があるのです。