本来、仏教における「忌明け(きあけ)」、すなわち、ご遺族が喪に服す期間を終え、通常の生活に戻る節目は、故人が亡くなられてから「四十九日目」です。しかし、日本のいくつかの地域、特に、関西や北陸、中国地方の一部などでは、この忌明けを、三十五日目(五七日)に繰り上げるという、独特の慣習が、今なお根強く残っています。これは、「切り上げ忌明け(きりあげきあけ)」や「五七日忌(ごしちにちいみ)」などと呼ばれ、その背景には、宗教的な解釈と、人々の生活の知恵が、巧みに織り交ぜられています。なぜ、三十五日で、忌明けとするのでしょうか。その理由の一つとして、「月の満ち欠け」に由来するという説があります。故人が亡くなった月と、忌明けの法要を行う月が、三ヶ月にまたがってしまうこと(これを「三月越し(みつきごし)」や「三月跨ぎ(みつきまたぎ)」と呼びます)を、縁起が悪いとする考え方があります。「始終、苦(しじゅうく)が身につく(みつき)」という、語呂合わせから来ている、とも言われています。例えば、1月20日に亡くなった場合、四十九日後は3月9日となり、1月、2月、3月と、三つの月にまたがってしまいます。これを避けるために、三十五日後である2月24日に、忌明けの法要を繰り上げて行う、というわけです。また、より現実的な理由として、「農村部の生活サイクル」との関連も指摘されています。昔は、親族が遠方の農村部に住んでいることが多く、農繁期などに、何度も集まることは、大きな負担でした。そのため、故人の魂の行方を決める上で、最も重要な審判が行われる「三十五日」を、一つの大きな区切りとし、そこに忌明けの法要や、香典返しの発送といった、すべての行事を集約させることで、親族の負担を軽減しようとした、という、生活の知恵から生まれた、という説です-。現代では、交通網が発達し、こうした必要性は薄れつつありますが、この慣習は、今もなお、その土地の人々の暮らしの中に、大切な文化として、息づいています。もし、あなたが、こうした地域の葬儀や法要に参列する機会があれば、その背景にある、人々の祈りと、暮らしの歴史に、思いを馳せてみるのも、良いかもしれません。