父は髭の男でした。私が物心ついた時から父の顎にはいつも手入れの行き届いた立派な髭が蓄えられていました。カイゼル髭のように先端がくるりと巻かれた、少しだけ古風でしかし父の頑固で優しい人柄を何よりも雄弁に物語るトレードマークのような髭でした。子供の頃、私はその少し硬い髭の感触が大好きでした。父に抱き上げられると、その髭が私の頬をくすぐったくそして優しく撫でるのです。その感触は私にとって父の愛情そのものでした。そんな父が長い闘病の末、この世を去りました。私が喪主として父の葬儀を執り行うことになった時、私の周りの親戚たちは皆口を揃えてこう言いました。「喪主を務めるのだから、お前のその髭はきちんと剃りなさい。それが礼儀というものだ」。当時私も父に倣ってささやかな髭を生やしていました。親戚たちの言うことは正論でした。葬儀のマナーとして髭を剃るべきだということは私も十分に理解していました。しかし私にはどうしてもその髭を剃ることができませんでした。なぜなら私にとって髭は父と私を繋ぐ唯一のそして最も大切な絆の証だったからです。父が病床でやせ細っていく中で最後までその形を保とうと気にしていたあの髭。そしてそんな父の姿を見て私もまた父のように強くそして優しくありたいと願って伸ばし始めたこの髭。これを剃り落としてしまうことは、父との最後の繋がりを私自身の手で断ち切ってしまうような気がしてならなかったのです。葬儀当日、私は親戚たちのいぶかしげな視線を感じながらも、いつも以上に丁寧に整えた髭のまま喪主の席に座りました。そして出棺前の挨拶で私はこう述べました。「父はその生涯を髭と共に誇り高く生きました。未熟な私ですが、父が愛したその生き様をこの髭と共に少しでも受け継いでいきたいと思います」。私の言葉が正しかったのかどうか今も分かりません。しかし棺の中の父の顔がほんの少しだけ微笑んでくれたような気がしたのは、決して私の気のせいではなかったと信じています。