葬儀という人生の最も深い悲しみの儀式の後、私たちはなぜわざわざ時間と手間をかけて「挨拶状」という一枚の書状をお世話になった人々へ送るのでしょうか。この日本社会に深く広く根付いた文化は、単なる形式的なマナーや古風な慣習という言葉だけでは到底語り尽くすことのできない、日本人の独特で美しい精神性を色濃く映し出しています。その根底に流れる一つ目の精神は「報告とけじめ」です。葬儀という非日常的な共同体の儀式が皆様のおかげで滞りなく終了したこと。そして故人の魂が無事に次の世界へと旅立ち、残された家族もまた喪の期間を終え、再び社会の一員として日常へと復帰すること。この一連のプロセスの完了を社会全体に対して正式に「報告」し、一つの「けじめ」をつける。挨拶状はそのための極めて重要な社会的宣言の役割を担っているのです。次にそこには「恩を必ず返す」という日本人の強い倫理観が見て取れます。葬儀という困難な状況の中で差し伸べられた数多くの温かい支援(会葬、香典、供花、弔電、そして手伝い)。その目に見えるもの見えないものすべての「恩」に対して、私たちは決して受けっぱなしにはしません。必ず「ありがとう」という感謝の言葉と形をもってその恩に「報いる」こと。それによって人と人との間に生まれた一時的な貸し借りの関係を清算し、再び対等で良好な人間関係を再構築しようとするのです。そして三つ目に、句読点を使わないといった細やかな作法に象-徴される「相手への深い配慮」の心があります。自分の気持ちをストレートに表現するのではなく、定められた「型」の中にそっと心を込める。それによって相手に余計な気を遣わせることなく、それでいて最大限の敬意と感謝を静かにそして奥ゆかしく伝えようとする。このどこまでも繊細で間接的なコミュニケーションの美学こそが、挨拶状という文化の神髄なのかもしれません。挨拶状は単なる紙切れではありません。それは人と人との絆を確認し社会の秩序を回復させるための、深くそして美しい文化装置なのです。
挨拶状という文化に宿る日本の心