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三十五日法要の流れと準備すること
五七日(三十五日)法要は、かつては親族を招き、比較的規模の大きな法要として執り行われることもありましたが、現代では、ご遺族のみ、あるいはごく近しい親族だけで、自宅で静かに営まれるのが一般的となっています。しかし、たとえ小規模であっても、故人の魂の重要な節目を供養するための、心のこもった準備が必要です。その流れと準備について、具体的に見ていきましょう。まず、準備の第一歩は「日程の決定」です。三十五日目が平日にあたる場合は、その直前の土日などに、日程をずらして行うのが通例です。日程が決まったら、次に行うのが「僧侶への依頼」です。菩提寺の住職に連絡を取り、希望の日時を伝え、法要の予約をします。この時、自宅に来ていただくのか、あるいはお寺の本堂で法要を行うのかも、併せて相談しましょう。もし、親族を招く場合は、早めに案内状を送付し、出欠の確認を取ります。法要後の会食(お斎)を設ける場合は、その人数を確定させ、仕出し弁当や、お店の予約なども済ませておきます。法要当日の流れは、概ね次のようになります。まず、自宅に設えられた「後飾り祭壇(中陰壇)」の前、あるいはお寺の本堂に、参列者が着席します。定刻になると、僧侶が入場し、読経が始まります。厳かな読経の中、僧侶の案内に従って、施主(喪主)、そして参列者の順で、焼香を行います。読経が終わると、僧侶による「法話」があるのが一般的です。閻魔大王の審判の日である五七日にちなんで、生前の行いの大切さや、仏様の慈悲についてのお話をいただく、貴重な時間です。法話が終わると、僧侶は退場し、法要の儀式は終了となります。その後、会食の席を設けている場合は、そちらへ移動し、故人の思い出を語り合いながら、参列者への感謝の気持ちを表します。たとえ家族だけの小さな法要であっても、故人のために心を込めて準備をし、手を合わせる時間を持つこと。その行為そのものが、何よりの追善供養となるのです。
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素材で伝える弔意、布製パンプスが最上とされる理由
葬儀用のパンプスを選ぶ際、多くの人が「黒であれば、革製でも良いのだろうか」と、その素材について悩むことがあります。結論から言えば、光沢のない、シンプルな黒のスムースレザーのパンプスは、現代の葬儀において、一般的に着用が認められています。しかし、より格式を重んじ、最も正式で、最も丁寧な弔意を示したいと考えるのであれば、選ぶべきは「布製」のパンプスです。なぜ、布製のパンプスが、革製品よりも、格上とされているのでしょうか。その背景には、いくつかの、日本の文化に根差した、深い理由が存在します。まず、最も大きな理由として、仏教の「不殺生(ふせっしょう)」の教えが挙げられます。革製品は、言うまでもなく、動物の皮を加工して作られたものです。そのため、動物の「殺生」を直接的に連想させ、弔いの場にはふさわしくない、と考える思想が、その根底にあります。布であれば、その心配は一切ありません。これは、殺生を連想させる毛皮(ファー)や、爬虫類系の革が、厳禁とされるのと同じ文脈にあります。次に、「光沢」の問題です。革製品は、どれだけマットな仕上げのものであっても、素材の特性上、どうしても、ある程度の自然な光沢を帯びてしまいます。一方、布製(特に、サテンやポリエステル、グログランといった、フォーマル用に用いられる生地)のパンプスは、光を吸収し、しっとりとした、深い黒色を表現することができます。この「光沢を、徹底的に排する」という姿勢が、華美を慎み、故人を悼む、という、慎みの心を、より強く表現すると考えられているのです。そして、布製のパンプスが持つ、独特の「柔らかさ」や「温かみ」も、その理由の一つかもしれません。冷たく、硬質な印象を与えがちな革製品に比べ、布製のパンプスは、より優しく、ご遺族の悲しみに寄り添うような、柔らかな印象を与えます。もちろん、布製のパンプスは、雨に弱く、手入れが難しい、というデメリットもあります。しかし、その手間をかけてでも、最高の敬意を表したい、と願う時。あるいは、ご自身が、喪主や、故人とごく近しい親族という、重い立場にある時。この布製のパンプスという選択は、あなたの深い弔いの心を、何よりも雄弁に、そして美しく、物語ってくれるはずです。
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私が初めての葬儀でパンプスに泣いた日
私が、社会人として、初めて一人で葬儀に参列したのは、入社二年目の、まだ肌寒い春のことでした。大変お世話になっていた、取引先の部長様の、突然の訃報。私は、悲しみと共に、社会人として、恥ずかしくない振る舞いをしなければ、という、強い緊張感に包まれていました。インターネットで、葬儀のマナーを必死に調べ、クローゼットの奥から、リクルートスーツの時に買った、黒のフォーマルスーツを引っ張り出しました。そして、足元は、同じく、就職活動で履き潰した、一足の黒いパンプス。ヒールの高さは5cmほどで、形もシンプル。これで、大丈夫だろう。そう、安易に考えていたのです。当日、斎場の厳粛な雰囲気に、私の緊張は、最高潮に達していました。受付を済ませ、式場に入り、自分の席に着く。そこまでは、問題ありませんでした。しかし、儀式が始まり、一時間近く、椅子に座り続けた後、焼香のために立ち上がった瞬間、私の足に、激痛が走りました。普段、スニーカーしか履かない私にとって、久しぶりのパンプスは、もはや、拷問器具でした。つま先は圧迫され、かかとは靴擦れで、ジンジンと痛みます。私は、その痛みを、必死で顔に出さないようにしながら、覚えたての、ぎこちない作法で、焼香を済ませました。しかし、本当の試練は、その後に待っていました。儀式が終わり、出棺を見送るために、屋外へ移動したのです。その道のりは、わずか数十メートル。しかし、痛む足を引きずる私にとっては、果てしなく長い道のりに感じられました。霊柩車が見えなくなるまで、参列者が、静かに合掌している間も、私の意識は、足の痛みと、「早く、座りたい」という、不謹慎な思いに、ほとんど支配されていました。故人を偲ぶ、という、最も大切な気持ちが、足元の準備不足という、些細な、しかし、致命的なミスによって、どこかへ、消し飛んでしまっていたのです。あの日の、情けないほどの、足の痛み。そして、故人に、心から向き合えなかった、という、深い後悔。その経験が、私に、マナーとは、単なる形式ではなく、儀式に、心から集中するための「準備」なのだ、ということを、痛いほど、教えてくれました。
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香典返しに添える忌明けの挨拶状
葬儀でいただいた香典に対して後日お返し(返礼品)を贈る「香典返し」。その品物に必ず添えなければならないのが「忌明け(きあけ)の挨拶状」です。この挨拶状は単に品物を送ったことを知らせるための送り状ではありません。そこにはいくつかの非常に重要な役割と意味が込められています。その最大の役割は「忌明けを無事に迎えたことの報告」です。仏教では故人が亡くなられてから四十九日間を「中陰」または「忌中」と呼び、ご遺族は喪に服し身を慎む期間とされています。そして四十九日の法要を終えることでこの「忌」が明け、ご遺族は再び通常の社会生活へと復帰します。忌明けの挨拶状は、この一連の儀式が滞りなく終了し故人が無事に成仏したことを、葬儀でお世話になった方々へ正式に報告するための大切な通知なのです。それは心配してくださった方々へ安心を届けるための温かいメッセージでもあります。この挨拶状の文面は、基本的なお礼状の構成にこの「忌明けの報告」の要素を加える形となります。具体的には「さて 先般 亡父 〇〇 儀 葬儀の際は ご鄭重なるご弔慰を賜り 誠にありがとうございました」とまず葬儀への御礼を述べます。続いて「おかげさまをもちまして さる〇月〇日 滞りなく四十九日(または満中陰)の法要を相営みました」と忌明けの報告を明確に記します。そして「つきましては 供養のしるしまでに 心ばかりの品をお届けいたしましたので 何卒ご受納くださいますようお願い申し上げます」と香典返しを送った旨を伝え、書中での失礼を詫びる言葉で締めくくります。宗教・宗派によって用いる言葉が異なる点にも注意が必要です。例えば神道では「五十日祭」、キリスト教(カトリック)では「追悼ミサ」、(プロテスタント)では「召天記念式」といったそれぞれの儀式の名称を用います。この丁寧な報告と感謝の書状が、故人が繋いでくれたご縁を未来へと繋ぐ大切な架け橋となるのです。
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私が書いた父への最後の手紙
父の葬儀が終わり、四十九日の法要が近づいてきた頃、私は香典返しに添える挨拶状の準備に取り掛かっていました。葬儀社の方が用意してくれた美しい定型文の文例がいくつかありました。どれも非の打ちどころのない完璧な文章でした。しかし私の心はなぜか晴れませんでした。この誰が書いても同じになる美しい言葉の羅列が、本当に私の、そして父の気持ちを伝えてくれるのだろうか。そんな拭いがたい違和感があったのです。父は不器用で口数の少ない人でした。しかしその行動の一つひとつに深い愛情が込められていることを私は知っていました。その父の飾らない温かい人柄を、父を愛してくれた多くの人々に私の言葉でもう一度伝えたい。私は意を決して定型文を使うのをやめ、自分自身で挨拶状を書くことにしました。句読点を使わないという伝統的なマナーだけは守りながら、私は拙い言葉を一つ一つ便箋に綴っていきました。「亡父 〇〇 は 生前 口数の少ない人間ではございましたが 家族の記念日には 必ず花束を買ってきてくれるような 優しい人でした」「そんな父が残してくれた 温かい思い出を胸に 私ども家族も 力を合わせて生きていく所存でございます」。そして最後に私はこんな一文を加えました。「ささやかではございますが 供養のしるしまでに 父が生前愛しておりました 地元の銘茶をお届けいたしました お召し上がりの際に ほんのひとときでも 父の不器用な笑顔を 思い出していただければ 幸いに存じます」。それは決して美しい文章ではなかったかもしれません。しかしそこには私のありのままの父への感謝の気持ちが確かに込められていました。後日その挨拶状を受け取った父の旧友から電話がありました。「君のお父さんらしい、本当に温かいご挨拶状だったよ。あのお茶を飲みながら、久しぶりにあいつとの思い出話に花が咲いたよ」。その言葉に私は救われた気がしました。挨拶状を書くという行為は私にとって単なる儀礼的な作業ではありませんでした。それは父の人生をもう一度深く見つめ直し、その感謝を私の言葉で社会へと繋いでいくための、父への、そして父が愛した人々への私の最後の手紙だったのです。
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髭一本に宿る弔いの心のあり方
葬儀における「髭」の問題。それは単に剃るか剃らないかという表面的な身だしなみのルールに留まらない、私たちの「弔いの心のあり方」そのものを深く問いかける象徴的なテーマです。なぜならその選択の根底には、「個人のアイデンティティ」と「社会的な調和」という、二つの時として相反する価値観の間の葛藤が存在するからです。髭を自身の生き方や個性の表現として長年大切にしてきた人にとって、それを葬儀というたった一日か二日の儀式のために剃り落とすという行為は、自身のアイデンティティの一部を否定されるような小さくない痛みを伴う決断かもしれません。しかしその個人的なこだわりを一旦脇に置き、その場の調和とご遺族への配慮を最優先して綺麗に髭を剃り上げる。その選択は「今日の主役は私ではなく故人です」という深い謙譲の精神と自己を律する成熟した社会性の何よりの証となります。それは「形」を通じて自身の「心」を最大限に表現しようとする、日本的な奥ゆかしい美徳の一つの表れと言えるでしょう。一方で故人とのきわめて個人的で深い関係性の中から、「髭を剃らない」という選択をあえてする人もいます。それは故人がその髭を愛してくれていたからかもしれない。あるいはその髭が故人と自分を繋ぐ最後の絆の証だと感じるからかもしれない。その選択は一般的なマナーという「社会的な規範」よりも、故人との「個人的な物語」を重んじるという、もう一つの誠実な弔いの形です。そこにはマニュアル化された儀礼を超えた、その人にしか分からないかけがえのない魂の交流が存在します。どちらの選択が正しくてどちらが間違っているという単純な答えはありません。大切なのはその選択が自己満足や無頓着さから来るものではなく、故人への偽りのない敬意と愛情に深く根差しているかどうかということです。私たちはこの髭一本の問題を通じて、自身の弔いの心が本当に故人とそして残された人々の心に寄り添うことができているのかという、根源的な問いを自らに投げかけることができるのです。
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私と祖母、三十五日の静かな約束
祖母が亡くなってから、一ヶ月が過ぎた頃。母から、電話がありました。「今度の土曜日、おばあちゃんの三十五日の法要を、うちでささやかに行うから、来られる?」。私は、もちろん、と答えました。祖母の葬儀は、遠方の斎場で、慌ただしく行われ、ゆっくりと悲しむ暇もありませんでした。だから、この三十五日という節目に、改めて、祖母と静かに向き合いたい、と、ずっと思っていたのです。法要当日、私が実家に着くと、リビングには、小さな後飾り祭壇が設えられ、祖母の優しい笑顔の遺影が、私たちを見守っていました。集まったのは、私と両親、そして、近くに住む叔父夫婦だけの、本当にささやかな集まりでした。やがて、菩提寺の住職が到着し、静かな読経が始まりました。私は、目を閉じ、お線香の香りに包まれながら、祖母との思い出を、心の中に、一つ一つ、蘇らせていました。子供の頃、私が熱を出すと、いつも、冷たい手ぬぐいで、私の額を拭ってくれた、その手の感触。私が、初めて書いた小説を、老眼鏡をかけながら、嬉しそうに読んでくれた、その優しい眼差し。読経が終わり、住職の法話が始まりました。「本日、三十五日は、故人様が、閻魔様の前で、生前の嘘について、裁きを受ける日でございます。しかし、皆様が、こうして集い、故人を想い、祈りを捧げる。その、嘘のない、誠の心が、何よりの弁護となり、故人の魂を、お救いするのです」。その言葉を聞いた時、私は、ハッとしました。私は、ただ、自分の悲しみを癒やすために、ここに来たのではない。私は、祖母の魂を、この世から応援するために、ここにいるのだ。そのことに、改めて、気づかされたのです。法要が終わり、皆で、祖母が好きだった、ちらし寿司を囲みました。その食卓は、決して、悲しいだけのものではありませんでした。そこには、祖母が残してくれた、温かい思い出と、家族の絆が、確かに、満ち溢れていました。三十五日という、静かな一日。それは、私にとって、天国の祖母と、そして、今を生きる自分自身と、固い約束を交わした、忘れられない、大切な日となりました。
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イヤリングをしない、という選択の尊さ
葬儀におけるアクセサリーのマナーとして、唯一、パールのイヤリングが許容されていることは、広く知られています。しかし、ここで、私たちは、もう一つの、そして、もしかしたら最も尊い選択肢が存在することを、忘れてはなりません。それは、「イヤリングを、一切しない」という選択です。日本の伝統的な弔事の装いにおいて、本来、アクセサリーを身につけるという習慣は、存在しませんでした。和装の喪服である「黒紋付」を着用する際、身につけるのは、結婚指輪と数珠のみであり、イヤリングやネックレスといった装飾品は、一切用いません。葬儀でパールのアクセサリーを身につけるという慣習は、昭和の時代に、洋装のブラックフォーマルが普及する過程で、欧米の王室のスタイルなどを参考にして、日本に定着した、比較的新しい文化なのです。したがって、葬儀の場で、イヤリングを着用しないことは、決してマナー違反ではなく、むしろ、より伝統的で、ストイックな、慎みの心の表れとさえ言えるのです。特に、故人が高齢であった場合や、参列者に年配の方が多い、格式の高い葬儀においては、あえてアクセサリーを何も身につけず、シンプルで、潔い装いで臨む方が、かえって奥ゆかしく、好印象を与えることも少なくありません。また、ご遺族、特に故人と最も近しい立場の方々が、深い悲しみの中で、アクセサリーをつける気になれない、という状況は、十分に考えられます。そのようなご遺族の心情に、最大限に寄り添う、という意味でも、「アクセサリーをしない」という選択は、非常に思慮深いものと言えるでしょう。マナーとは、ルールブックに書かれた「許容範囲」を、最大限に活用することではありません。その場の雰囲気、故人やご遺族との関係性、そして、自分自身の弔いの心を、深く見つめた上で、最もふさわしいと信じる、誠実な選択をすること。その精神性こそが、マナーの本質です。もし、あなたが、パールのイヤリングを持つことに、少しでも違和感を覚えたり、あるいは、それを身につけることが、自分の悲しみの表現とそぐわない、と感じたりしたのであれば、どうぞ、何もつけない、という、その静かで、そして潔い選択に、自信を持ってください。
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葬儀での髭、清潔感が弔意の証
葬儀という厳粛で故人への敬意が何よりも重んじられる場において、男性の身だしなみはその人の弔意の深さを無言のうちに物語ります。服装や髪型はもちろんのこと、特に顔の中心にある「髭(ひげ)」の扱いは、その人の清潔感とひいては誠実さを大きく左右するきわめて重要なポイントです。お悔やみの場における髭に関するマナーの基本は、ただ一つ「清潔感を最大限に保つこと」に尽きます。その最も確実で誰の目にも疑いのない誠実な弔意の表明となるのが、髭を完全に剃り落とし一切ない状態で参列することです。つるりとした剃りたての滑らかな肌は、この日のためにきちんと身だしなみを整えてきたという故人とご遺族に対する明確な敬意の証となります。普段から髭を生やしていない方はもちろん、日常的には無精髭で過ごしている方やファッションとして髭を楽しんでいる方も、この特別な日だけはカミソリやシェーバーで綺麗に剃り上げるのが最も丁寧で最も間違いのない選択と言えるでしょう。特に中途半端に伸びた「無精髭」はだらしなく疲れた印象を与え、「故人の死を悼むよりも自分の身だしなみに無頓着である」という不誠実なメッセージとしてご遺族や他の参列者に受け取られかねません。それはあなたが心の中に抱いている深い弔意とは全く逆の印象を与えてしまう、非常にもったいなくそして避けるべき状態なのです。また剃り残しがないように鏡で入念にチェックすることも大切です。顎の下や首回りといった見えにくい部分にも注意を払いましょう。葬儀の装いは自分自身を飾るためのものではありません。故人を敬い悲しみにくれるご遺族の心に静かに寄り添うための、自己を律する謙虚な姿勢の表れです。その精神性は服装だけでなく顔の細部、すなわち髭一本にまで確かに宿るのです。