私たちが今、カレンダーの六曜を見て葬儀の日程を左右されるようになった歴史を遡ると、意外にもそれはそれほど古いことではありません。江戸時代初期までの日本のカレンダー(具注暦など)には、日の吉凶が細かく記されていましたが、六曜が一般に広まったのは江戸時代中期以降の民間暦においてです。当時の幕府は、迷信によって社会が混乱することを防ぐために、たびたび六曜の記載を禁じていました。明治時代に入ると、政府は「太陽暦(グレゴリオ暦)」を導入し、カレンダーの近代化を一気に進めました。この際、政府は六曜を「迷信」としてカレンダーから完全に排除しようと試みましたが、国民の間では根強い人気があり、民間のカレンダー業者は密かに六曜を掲載し続けました。葬儀と友引の関係がこれほどまでに強固になったのは、明治以降の都市化と火葬の普及が大きな要因と言われています。かつての土葬が中心だった農村部では、近隣住民の協力が必要なため、カレンダーの吉凶よりも「集落の皆が集まれる日」が優先されていました。しかし、都市部で火葬場という公共施設を利用するようになると、施設の運営側が「友引は混雑を避けるための休業日にする」という口実で六曜を採用し、それがカレンダー上のルールとして固定化されていったのです。つまり、現代の葬儀カレンダーの習慣は、古い迷信が近代的な施設運営システムと結びついた、ある種の「ハイブリッドな文化」と言えます。戦後、一時期は合理主義の台頭により六曜入りのカレンダーは衰退するかと思われましたが、現在でも多くの企業が配布するカレンダーには六曜が記載されており、冠婚葬祭の指針として生き残り続けています。私たちがカレンダーを見て「明日は友引だから葬儀はやめよう」と言う時、そこには数百年におよぶ政府の弾圧と民間の知恵、そして近代化の歪みが凝縮されているのです。カレンダーという紙の上のグリッドに、目に見えない運勢やタブーが書き込まれ、それが現実の葬儀という重い儀式を動かしている。その歴史の重みを思うと、1枚のカレンダーをめくる手が少しだけ重く感じられるかもしれません。
カレンダーと葬儀の歴史、いつから日本人は日取りを気にするようになったか