ドライアイスが日本の葬儀現場に普及したのは、実はそれほど古いことではありません。戦後の高度経済成長期、工業用ドライアイスの流通が一般化するまでは、故人の遺体を保存するために様々な知恵と苦労が積み重ねられてきました。明治から大正、そして昭和初期にかけて、遺体の保冷に使われていたのは、天然の「氷」でした。冬場は比較的管理が容易でしたが、夏場に人が亡くなった際は、まさに時間との戦いでした。富裕層は氷屋から大きな角氷を買い込み、それを細かく砕いて遺体の周りに敷き詰めましたが、氷は溶けると水になるため、遺体や布団が濡れないように防水の工夫が必要でした。ブリキのタライに氷を入れ、その上に遺体を乗せるように安置したり、木箱の中に氷と遺体を一緒に収めたりといった方法が取られていました。しかし、氷の冷却能力はドライアイスに比べれば遥かに低く、また溶けた水の処理も不衛生になりがちでした。さらに、氷が手に入らない貧しい家庭や農村部では、冷たい井戸水を汲んで遺体にかけたり、風通しの良い板の間に寝かせたり、周囲に大量の「塩」を撒いて吸湿と殺菌を試みたりといった、切実な処置が行われてきました。また、地域によっては、腐敗を防ぐために強い香りのある線香を絶やさず焚き続けたり、アルコールで遺体を清めたりする「湯灌(ゆかん)」の習慣が発達しました。1960年代後半から、ドライアイスが安価に供給されるようになると、葬儀の風景は一変しました。水濡れの心配がなく、氷よりも圧倒的に冷たいドライアイスの登場は、夏場でも数日間の安置を可能にし、それが現代のような「お通夜と告別式を分ける」葬儀スタイルの定着を後押ししたと言っても過言ではありません。ドライアイスという技術が、日本の葬儀を「急いで埋める」ものから「ゆっくりとお別れをする」ものへと変えたのです。私たちが当たり前のように享受している故人との最後の時間は、氷からドライアイスへと進化した保存技術の歴史の上に成り立っています。1つの白い塊が、日本の死生観を支えるインフラとなった背景には、先人たちが抱いてきた「せめて最後の日々だけは、愛する人の姿を留めておきたい」という、時代を超えた普遍的な願いが隠されているのです。
日本における葬儀と氷の歴史、ドライアイス導入前の安置方法を辿る