突然の別れの後、私たちは父を住み慣れた自宅へ連れて帰ることに決めました。病院から自宅へ搬送された父を布団に横たえた時、葬儀社の方が真っ先に準備したのが大きな白い固まり、ドライアイスでした。和室の静寂の中で、ドライアイスが空気中の水分と反応して白い霧を立ち上げる様子は、どこか幻想的で、父がゆっくりと深い眠りについているような錯覚を抱かせました。担当者の方は手際よく、布で包んだドライアイスを父の脇や腹部に配置していき、その際に「冷たくなりますが、これがお父様を綺麗に保つためなんです」と優しく説明してくれました。自宅での安置は、斎場に預けるのとは違い、いつでも父のそばにいられる安心感がありましたが、同時に「温度管理」という現実的な課題も突きつけられました。担当者は毎日決まった時間に家を訪れ、新しいドライアイスと交換してくれました。使い古されて小さくなった石鹸のようなドライアイスを取り出し、新しい大きな塊に入れ替える作業は、まるで父の命の灯火を絶やさないための儀式のようにも見えました。5月の少し汗ばむ陽気の中、クーラーを常に稼働させ、ドライアイスの冷気を逃さないように襖を閉め切る生活は少し不便でしたが、その冷たさのおかげで、父の顔色は数日が経過しても驚くほど変わらず、眠っているような穏やかさを保っていました。夜、一人で父のそばに座っていると、ドライアイスがパチパチと小さく弾ける音が聞こえ、それが父の微かな寝息のように思えて涙がこぼれました。もしドライアイスがなければ、私たちはこれほど長い時間、父と同じ部屋で過ごすことはできなかったでしょう。お別れの日、棺に納まる父に触れた時、その体は確かに冷たかったのですが、それは私たち遺族に「ゆっくりとお別れする時間」をプレゼントしてくれた、慈愛に満ちた冷たさでした。ドライアイスが作り出す白い霧は、生と死の境界を優しく包み込み、悲しみの中でも前を向くための準備期間を与えてくれたのだと、今になって強く感じます。
自宅安置で故人と過ごした数日間と白い霧の記憶